REVIEW · ラジオ・音声
かのうみゆ、クイズと音楽で開いた福岡の朝 — KBC アサデス。ラジオ

「タイムショック」は惜しくもあと1問で失敗、それでも鮮明になったキャラクター…福岡出身シンガーソングライターの自然体の姿と夢、そして2026年春の現在
かのうみゆが2026年4月7日朝放送のKBCラジオ 「アサデス。ラジオ」 に出演し、持ち前の明るさと率直なトークで最近の活動を飾らずに語った。この日は通常のインタビューではなく、クイズコーナー 「アサデスタイムショック」 から始まり、性格や反応の速さ、生活の一面、音楽の話、初のフォトアルバム 「あきらめないで」、アビスパ福岡DAOアンバサダーの活動、そして当日夜の博多駅でのステージまでを一度に紹介する放送となった。
前日のFM FUKUOKAとは異なる魅力を見せたことも興味深い。前日が音楽とキャリアを落ち着いて振り返る時間だったとすれば、このKBCラジオでは、日常の一面を含むかのうみゆの人柄がよりはっきりと表れた。クイズに戸惑い、司会者の名前をとっさに思い出せず、自分でも「ちょっとおっちょこちょい」と認める姿が、むしろ親しみやすさにつながった。
何よりこの放送は、歌唱力だけでなく、ラジオでも人を引きつける力を持つことを示していた。明るく自然体ながら大切な点は明確で、笑いを誘いながらも自分の音楽の意味を説明する時には言葉が定まっていた。軽やかな朝の放送に見えつつ、現在のかのうみゆを鮮明に記録する時間だった。
「アサデスタイムショック」で始まった朝の出演…冒頭から光ったキャラクター
この日、かのうみゆはKBCラジオの人気コーナー 「アサデスタイムショック」のスペシャルチャレンジャーとして登場した。ルールはシンプルで、1分間に12問に答え、10問以上正解すればサイン入りの番組ステッカーをリスナーにプレゼントするというもの。この単純な設定こそ、彼女のキャラクターを素早く伝える仕掛けになった。
司会者にクイズが得意か聞かれると、迷わず「苦手」と答えた。問題はすべて本人に関するものだったが、途中で少し立ち止まって考えたり、速い展開に笑ったりと、人間らしい反応を見せた。朝から「頭が回るかな」と笑った時点で、すでに場は和んでいた。
面白いのは、ファンにはなじみ深い問題ばかりだったことだ。出身地や年齢、2月発売のフォトアルバムのタイトル、アビスパ福岡とのつながり、「Over Drive」の動画1000万回再生など、最近の活動を凝縮したキーワードが続いた。単なるクイズではなく、朝のリスナーにかのうみゆという人物を短くリズミカルに紹介する役割も果たした。
12問中9問正解…あと1問で失敗、それでも際立った「かのうみゆらしさ」
結果は12問中9問正解で、目標の10問には惜しくも届かなかった。決め手となったのは、最後に司会者が「今話している私は誰?」と尋ねた場面。かのうみゆはとっさに自分のことへと思考が向かい、司会者の名前ではない反応が先に出て時間切れになった。あと1問での失敗だった。
だが、ここが最初のハイライトでもあった。失敗そのものより、失敗の仕方がいかにもかのうみゆらしかったからだ。名前を間違えた後も「一度間違えると、もっとよく覚えます」と笑って返し、司会者も「もう忘れないね」と応じて盛り上げた。
この場面は、失敗を隠したり、恥ずかしがって縮こまったりする人ではないことをよく示していた。むしろその場で軽い冗談に変え、自分のキャラクターの一部として受け止める。過度の緊張より、適度な抜けたところや素直な反応が印象に残るラジオでは、こうした感覚が大切だ。
タイムショックでは意外な一面も見えた。たとえば「DAOといえば?」という問いで、すぐに 和太鼓集団TAO(わだいこしゅうだん TAO)を思い浮かべたのは、幼い頃に実際に何度か公演を見た記憶があったからだと説明した。本人も「すぐ出てきてびっくりした」と話したが、こうした瞬間は、単なる天然キャラクターに収まらないことも伝えている。明るく意外な反応をしつつ、覚えておきたい感覚は体の中に残っている人、という印象だった。
かのうみゆ タイムショック12問(加納美優 タイムショック12問)
クイズの後も続く笑い
タイムショックの後も、司会者はかのうみゆの「少し抜けたような」性格を自然に話題にした。リスナーのメッセージにも「少し忘れっぽい」という指摘があり、本人も否定せず、「ちょっとおっちょこちょいなところがある」と気楽に認めた。
クイズの失敗が次のトークの題材になった。みゆがおっちょこちょいな一面を認めると、司会者はその答えを受けて話をつないだ。
子ども時代の特技は「フラフープを無限に回すこと」…日常の話から見えた過去
もう一つ印象的だったのが、フラフープをいつまでも回せたという話だ。最初はバラエティー向けの話にも聞こえるが、子どもの頃に新体操を習い、自宅でよく練習していた経験につながっていると説明した。家にはいつもフラフープがあり、テレビを見ながら回し続けるうち、周囲から「それは特技では」と言われるほどになったという。
今は昔のようにはできないと言うと、司会者も子どもの頃にはできても今はできないことがあると返した。特技についての質問が、幼い頃の練習と今の暮らしを一緒に語る時間へとつながった。
みゆは歌い続けるために体幹を鍛えたいので、フラフープを再開しようか考えていると話した。ただ、家が広くないので購入に迷うという現実的な理由も添えた。
スタジアムで歌ったアンバサダーの経験
この放送では、かのうみゆが アビスパ福岡DAOアンバサダー を務めていることも改めて紹介された。以前からチームの存在を知り、福岡出身として自然に身近に感じていたという。ただ、実際の接点は2023年の日韓オーディションと、その後のテレビ出演だった。
韓国関連の番組やオーディションの映像を見たアビスパ福岡側が関心を寄せてくれたと説明した。故郷の外での活動が、地元のサッカーチームとの出会いにつながったのだ。
ベスト電器スタジアムのピッチで2、3回歌った経験も紹介。大きな競技場やさらに広い場所で歌いたいという思いとともに、当時のステージを振り返った。
スタジアムで声が遠くまで広がる感覚や、広い空間の開放感を味わったという。今後さらに大きな舞台で歌いたい夢と結びつけて語った経験だった。

1000万回再生の「Over Drive」、韓国・台湾へ広がる反響
司会者はもう一つの重要な話題として、 JUDY AND MARY「Over Drive」の歌唱動画1000万回再生 を取り上げた。かのうみゆは、この反響が2023年の日韓共同制作オーディション番組 「トロット・ガールズ・ジャパン」 と、その後の韓国での歌唱ステージをきっかけに本格的に始まったと説明した。
韓国で「Over Drive」を歌ったことが転機の一つだったという。そのステージで韓国の視聴者に知られ、そこから福岡、東京、そして今では台湾へと反響が続いていると説明した。似た話は他の番組でもしていたが、このKBCラジオでは「アジア全域に活動を広げたい」という夢が、特に直接的な形で語られた。
司会者は声についても「ずっと聴きたくなる清涼感がある」と評し、本人は韓国でも同じようによく言われると答えた。もともと自覚はなかったが、さまざまな反応から、自分の声の強みを少しずつ知るようになったという。
司会者の言葉に、韓国でも同じような評価を聞くと答えた。自分では知らなかった声の印象を、観客や司会者の言葉から受け取り直す会話だった。
「歌手になりたい気持ちは8歳から変わらない」…ハンナ・モンタナがつくった原点
歌手になりたいと思ったのはいつからかと聞かれると、ほとんど迷わず、 8歳から と答えた。何度も語ってきたように、そのきっかけは、 「ハンナ・モンタナ」 だった。学校に通う普通の少女が、舞台ではスターとして生きるという設定が、幼いかのうみゆに強い刺激を与えたのだという。
今年はハンナ・モンタナの20周年だとも話し、最近関連の特番を見返して感慨深かったと語った。ドラマを見て夢を抱いた時から、もう20年近くが過ぎたことを、自分でも不思議に感じるという。
ハンナ・モンタナを見て歌手を夢見た子ども時代と今の活動が、一つの会話に重なった。最近の20周年特番を見て当時を思い出したと話した。
なぜ「あきらめないで」をアルバム名にしたのか…10歳の曲が26歳の宣言へ
この日も初のフォトアルバム 「あきらめないで」 の話が大きな比重を占めた。かのうみゆは、今流れているこの曲が、自分が 10歳で初めてつくった曲 だと改めて強調した。歌詞もコードもほとんど変えておらず、もともとはもっとフォーク色の強い曲だったと説明した。
この曲は絶対に世に出さないつもりだったと率直に語った。幼い頃に書いた曲で、あまりにストレートで、今取り出すのは恥ずかしかったからだ。しかし事務所の代表が「いい曲だから、ぜひ出した方がいい」と説得し続け、何より現在のロック調のアレンジを新たに聴かせてもらったことで考えが変わったという。
長い年月が過ぎても「諦めないで」という言葉は今も有効に感じられると説明した。子どもの頃の曲を新しいアレンジで発表し、その題名を初のフォトアルバムにも付けた背景だった。
曲はどう書くのか…「メロディーが先、移動中に歌詞があふれる」
司会者は50曲以上もある自作曲をどう書くのかとも質問した。かのうみゆは、基本的には、 メロディーが先に浮かぶことが多いと説明した。移動中に歌詞が浮かべばすぐメモして後からメロディーを付けたり、先にできたメロディーに言葉を乗せたりするという。
メロディーと歌詞の順番は一つに決まっていない。先に浮かんだメロディーに言葉を乗せることも、移動中に思いついた歌詞をメモしてからメロディーを付けることもあるという説明だった。
フォトアルバムという形の意味…音楽とともに場面を残した初の作品
司会者はフォトアルバムという形式自体についても尋ねた。なぜ単なるアルバムではなくフォトアルバムなのかと聞かれると、本人も最近になってこうした形式があることを改めて知ったと笑った。
フォトアルバムには2025年の生誕祭ライブのステージ写真が収録された。曲を聴くと同時に、当時の表情や動きも写真で楽しめる構成だ。
みゆは音楽だけでなく写真も一緒に楽しめることを紹介した。曲の制作過程を語っていた放送は、実際の作品に収められた内容へと進んだ。
大牟田でも歌いたいという願い
後半、司会者は福岡にどれくらい帰ってくるのか尋ねた。昨年から福岡での仕事が少しずつ増え、時々戻ってはいるものの、日程が詰まっていて実家までゆっくり帰る余裕はまだ少ないという。
日程の都合で実家にはあまり立ち寄れないが、いつか大牟田でも歌い、故郷に恩返ししたいという願いを伝えた。
当日夜に予告した博多駅のライブ
この日の出演の実質的な目的の一つは、その夜に行われる、 JR博多シティ大屋根イベントスペースでのライブの告知だった。かのうみゆは、 「ライオンズさくらフェスタ」 のステージに18時15分ごろ立つ予定だと話し、観覧無料なのでぜひ来てほしいと直接呼びかけた。
特に印象的だったのは、博多駅前で歌うのは本当に久しぶりだという言葉。高校時代、FM FUKUOKA関連のラジオ活動や地元のステージで駅前に立ったことはあったが、今回はほとんど、 高校2年生以来初めてのような感覚 だと説明した。
夜のライブの告知から、高校時代に博多駅前で歌った記憶へと話がつながった。久しぶりに同じ場所に立つ気持ちを伝え、無料ライブへと観客を招いた。
朝のクイズから夜のステージ予告まで
朝の放送はタイムショックの12問と子どもの頃の特技から始まり、新作の制作、スタジアムでの歌唱経験、夜の博多駅の予定へと進んだ。みゆはクイズの間違いには笑い、曲や作品を紹介する時には制作過程を具体的に説明した。
司会者が問いかけ、みゆが経験を語る中で次の話題が開かれた。最後に紹介した夜のライブは、ラジオで聴いた声に実際の舞台で出会える機会だった。





