FEATURE · 아티스트 스토리
かのうみゆの成長記――福岡から韓国へ、シンガーソングライターの道

物語の流れ · 目次
Frag Labのスペシャルインタビューと近年の活動をもとに再構成した、かのうみゆの成長の記録
今日かのうみゆを語るとき、多くの人がまず思い浮かべるのは、日本と韓国を行き来するアーティストの姿だ。日韓プロジェクトのオーディション番組『トロット・ガールズ・ジャパン』で転機を迎え、現在はグループとソロの両方で活動しながら、自らの音楽世界を育てている。
だが今のかのうみゆを理解するには、もっと以前を振り返る必要がある。舞台で歌う姿の後ろには、幼いころ初めてギターを手にした瞬間、小さなライブで自分の歌を歌い始めた時間、そして繰り返す挑戦と挫折の中でも音楽を諦めなかった長い旅がある。今の彼女は一朝一夕に生まれたのではなく、長く自分の音楽を守り続けた結果だった。
かのうみゆは三重県で生まれ、4歳ごろ家族と福岡県大牟田市へ移った。幼少期の大半を大牟田で過ごして音楽と出会い、シンガーソングライターの夢を育て始めた。今も福岡出身と名乗るのは、成長の大半がここにあったからだ。
興味深いのは、初めから単なる歌手よりシンガーソングライターを夢見たことだ。他者の曲を歌うだけでなく、自分の経験や感情を旋律と言葉で表したかった。10歳ごろギターを習い始めて作曲に興味を持ち、その創作が後の数十曲のオリジナルへとつながった。
道はいつも平坦ではなかった。上京後も大小のオーディションに挑み、コロナ禍で公演も創作も止まった時期があった。それでも再びギターを持ち、自分の物語を歌い始めた。一歩ずつ重ねた時間が今の彼女を作った。
本稿はFrag Labの全3回のスペシャルインタビュー、公開インタビュー、公式プロフィールなどから、今のシンガーソングライターになるまでをたどる記録だ。経歴の羅列ではなく、一人の音楽と人生を追いながら、今のかのうみゆを理解したい。
第1章 三重から福岡へ――音楽と初めて出会った時間
かのうみゆは三重県で生まれ、4歳ごろ家族と福岡県大牟田市へ移った。成長の大半を福岡で過ごし、今も自己紹介では自然に『福岡出身』と表現する。音楽人生の話でも、出発点はいつも福岡だ。
幼い彼女は普通の子どものように音楽が好きだったが、決定的な契機は米国のテレビドラマ『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』だった。普通の学生と舞台の歌手という二つの人生を生きる主人公に強い印象を受けた。その後、自ら歌と踊りを覚え、自然に歌手になりたいと夢見た。
だが関心は上手に歌うことだけにとどまらなかった。舞台で自分の話を歌う人、つまりシンガーソングライターに近い夢を抱き始めた。他者の曲を歌うより、自分の感情を旋律と言葉にすることに強く惹かれたからだ。
転機は10歳ごろに訪れた。初めてアコースティックギターを持ち、演奏を学ぶと同時に曲を作り始めた。幼くても浮かんだ旋律を録音し、短い歌詞を書いて、一曲ずつ完成させた。今は50曲以上の自作曲を持つが、その出発は当時の小さな習作だった。
作曲が特別な目標でなく、自然な遊びのように始まったのも興味深い。ギターを習うと旋律を作りたくなり、できると歌詞を付けたくなった。できた歌は人に見せる作品というより、感情を記す日記のようだった。
この習慣は今も大きく変わらない。近年の『黒い心臓』や『Re:Road』のように感情を繊細に描く曲も、幼少期からの創作の延長にある。表現は成熟しても、自分の話を自分で歌いたい思いは変わらなかった。


第2章 11歳、舞台が遊び場になる
ギターを手にして約1年後、かのうみゆは練習室から舞台へと向かい始めた。
11歳で、すでに福岡市内でライブ活動を始めていた。小学生がギターを背負い、人前で自作曲を歌うのは珍しかった。だが彼女にとって舞台は恐ろしい空間というより、作った音楽を最も率直に届けられる場所だった。
最初から大会場を目指したわけではない。小さなライブや地域公演を一つずつ経験し、歌って直接反応を感じる時間を重ねた。その経験は次の曲の土台になった。書き、舞台で歌い、また作る過程が自然に日常となっていった。
幼くても関心は『舞台をどう楽しむか』より『どうすればもっとよい歌を作れるか』に近かった。他者の曲を完璧に再現するより、自分の話を伝えることが大切だった。出演するほど自然に自作曲の比重が増した。
シンガーソングライターにとって舞台は歌を届けるだけの場所ではない。机で作った音楽が初めて人と会う場所だ。反応は次の曲の着想となり、そこで感じた感情は別の歌詞になる。彼女も幼少期からそれを繰り返し、自分の世界を少しずつ作った。
福岡が育てたシンガーソングライター
福岡は日本でもライブ文化の活発な都市の一つだ。大会場だけでなく、ライブハウスや地域音楽祭も続き、新人が経験を積める舞台が比較的整っている。
彼女もその環境で育った。歌を習うだけでなく、実際の観客へ自分の音楽を届ける経験を重ねて舞台感覚を学んだ。幼いころから出演は特別でなく日常となり、日韓で活動する現在にも自然につながっている。
地域の音楽関係者に名が少しずつ知られたのもこのころだ。若さ以上に、ギター一本で自作曲を歌うシンガーソングライターとして注目された。上手な学生でなく、自分の音楽を持つ人として記憶され始めた。
『MUSIC CITY TENJIN』が残した経験
成長を語る上で欠かせない舞台が、福岡を代表する音楽祭『MUSIC CITY TENJIN』だ。
中学2年から継続出演し、地域を代表する若いシンガーソングライターの一人へ育った。同祭はプロ・アマ、メジャー・インディーを問わず多様な人が参加する福岡最大規模の音楽祭として知られる。出続けることには、回数を増やす以上の意味があった。
舞台が大きくなるほど観客も多様になった。偶然立ち止まる市民から関係者まで、さまざまな人へ歌を届ける機会ができた。音楽がどれほど届くか直接確かめる貴重な経験だった。
公演を重ねるだけでなく、シンガーソングライターがどう舞台を作るかを体で学び始めた。ギターと声だけで惹きつけられるか、どの曲が長く心に残るか、どんな話をするべきかを自然に覚えていった。
舞台より大切だった『歌い続けること』
振り返れば10代は華やかな成功より地道な経験で満ちていた。全国的な番組に出る前で、日韓を往復する時期でもなかった。だが同年代が学校生活を送る間、会場を巡り、ギターで舞台に立ち、自分の音楽を積み重ねていた。
この経験は後の複数のインタビューにも繰り返し現れる。音楽は突然の機会でなく、幼いころから長く続けた人生の一部だった。だから後の苦境でも簡単に手放さずにいられたのかもしれない。
後に東京へ向かった理由も同じ線上にある。大成功を追うより、広い舞台で音楽を続けるためだった。福岡で積んだ経験が、新しい挑戦の出発点になりつつあった。
第3章 福岡で少しずつ名を知られる
経験を重ねるほど活動範囲も自然に広がった。
小学生からライブを続け、中学生になると福岡の音楽界で少しずつ名を知られた。特に『MUSIC CITY TENJIN』へ中学2年から連続出演し、観客と会い続けた。若くてもギター一本で自作曲を届ける姿が、多くの人に強い印象を残した。
同祭は単なる地域祭ではない。福岡市内各所を舞台に、メジャー・インディー、プロ・新人を問わず出演する九州最大規模の行事の一つだ。継続出演は回数以上に、地域の音楽シーンで存在を認められ始めた意味も持った。
だが当時は『有名になりたい』より『よい曲を作りたい』思いが強かったと、複数のインタビューで語る。人前で歌うのは結果でなく過程だった。舞台の感情が新しい歌詞となり、終えるたび次の曲をどう書くか考えた。完成品を見せる場所でなく、音楽が育つ空間だった。
幼くても揺らがなかったシンガーソングライターの夢
若い歌手は上手に歌うことから徐々に自分の音楽を探す場合が多い。だが彼女は少し違った。
10歳ごろギターを習って以来、ずっと自ら作曲した。趣味としてだけでなく、自分が舞台で歌う曲を作ることを当然と受け止めた。数は徐々に増え、今は50曲以上のオリジナルを持つ。
この習慣は今も音楽を説明する重要な特徴だ。近年の『TERMINAL』や『Re:Road』など、経験や感情に根ざした曲が多い理由もここにある。歌う前に『何を語るか』を考える人だったからだ。
そのため技巧より先に物語の流れが入ってくる。一曲に短いドラマがあるような構成は、幼少期からの作り方の結果と見られる。
2014年、最初の大きな転機
出演を続ける彼女に最初の転機が訪れたのは2014年だった。
福岡を代表する新人発掘企画の一つ『ROAD TO MCT』でグランプリを受賞し、地域の注目を集め始めた。まだ中学生だった彼女には単なる賞以上だった。初めて音楽を客観的に評価され、今後もこの道を歩める自信を得る契機となった。
何よりこのころから、ギターを背負って歌う幼いシンガーソングライターの姿が福岡に少しずつ知られた。関係者の関心も増え、新しい出演機会も生まれた。
今振り返れば全国的知名度とは遠かった。だが大切なのは有名さでなく、一歩ずつ前へ進んでいる事実だった。
ラジオで届けた最初の声
公演だけでなくラジオでも名を知られ始めた。高校生になるとFM FUKUOKA『Hyper Night Program GOW!!』へ月間レギュラーで出演し、聴取者と会い続けた。歌の舞台とは違う空間で、制作、学校、準備などを話し、音楽家だけでなく一人の自然な姿も見せ始めた。
後にLOVE FMで自分の番組を持ち、各局のゲストとなった今も、進行が大きく変わらない点が面白い。飾るより普段のように落ち着いて経験を話す語り口は、このころから育ったように見える。
ラジオは歌と違う方法で人と会う場所だった。舞台では音楽で表現し、マイクの前では考えや価値観を少しずつ届け始めた。
さらに広い世界へ
福岡の日々は単なる準備期間ではない。ギターを習い、初めて曲を作り、舞台に立ったのはすべて福岡だった。音楽祭や多数のライブで育ち、ラジオで声を届ける方法も学んだ。
だが時とともに一つの思いも大きくなっていた。
『もっと多くの人に自分の音楽を届けたい。』
福岡は育ててくれた街だったが、広い舞台への夢が自然に次の挑戦を準備させた。目的地は日本の音楽産業の中心、東京だった。
第4章 東京、より大きな舞台への第一歩
福岡の時間は単なる成長期ではなかった。初めてギターを持ってから曲を作り、11歳には地域のライブで観客へ届けた。中学では『MUSIC CITY TENJIN』に出続け、地域ラジオにも定期出演して名を広めた。同年代が学校や塾へ通う間、ギターを背負い会場へ行くことが自然な日常だった。
福岡は音楽を教え、夢を現実にした出発点だ。反応を直接感じ、公演後に新曲を書く生活が、歌を作る人という自己認識を強めた。幼くても立ち方だけでなく、観客と呼吸を合わせ音楽を伝える方法を体で学んでいた。
だが次第に新たな悩みも生まれた。育ててくれた街である一方、もっと広い世界で試したい思いが増した。地域で名を知られても、多くへ届けるにはより大きな舞台が必要だった。東京が自然に次の目標となった。
18歳で上京という難しい決断をした。慣れた福岡を離れるのは転居だけではない。家族、友人、長年の舞台、自分を知る人とも一時距離を置くことだった。それでも挑戦を選んだ。音楽を続けるには、いつか越える過程だと考えたからだ。
東京はまったく違った。通りごとに会場があり、多くのライブハウスで毎日新人が歌った。有名レーベルを目指す人からインディーまで同じ舞台を競っていた。福岡で目を引いたギターの若い自作歌手という経歴も、ここでは特別な強みでなかった。優れた人が数え切れないほどいたからだ。
すべてやり直しだった。会場で知る人は少なく、観客もほぼ初対面だった。短時間で歌と話を届け、一度で記憶してもらう必要があった。福岡の経験は資産でも、それだけでは足りなかった。出演のたび、なぜ自分の歌を聴くべきかを証明する日々が続いた。
その過程こそ成長させた。福岡での目標が経験なら、東京の最重要課題は自分の色だった。どの曲が自分を示し、どの詞が心を動かし、どう記憶されたいかを考え続けた。上手な歌手だけでなく、自分の話を音楽で伝える人を目指した。
東京の日々は華やかな成功より真剣な学びの連続だった。小会場で数人に歌う日も、期待の結果を得ない審査も多かった。それも人生の一部と受け止め、公演後はギターを持ち、書いて次へ備えた。その反復が、後の予期せぬコロナ禍にも簡単に諦めなかった土台となった。
オーディションから学んだこと
東京で多様な審査とライブを経験した。多くにはデビューへの関門でも、彼女には結果より過程だった。合否は一瞬の結果で、続けるかの判断基準ではなかった。
複数のインタビューで、一度の成功より継続して立つ時間を重視したと語る。終えると曲を書き、新舞台に挑み、次の審査へ備える。その経験は経歴を増すだけでなく、自分を強くする時間となった。
『よい曲』と『人の心に残る曲』は違うと徐々に分かった。完成度だけでは不十分で、経験や感情の伝え方も大切だった。技巧より物語へ集中し、自分の生活を詞にする時間が増した。
すべて望む結果にはならなかった。期待した舞台に立てず、努力ほど成果が出ないことも多かった。だが失敗を終わりとはしなかった。一度の結果より作って歌い続けることが大切だった。幼少期からのライブ経験が耐える最大の力だった。
振り返れば東京は華やかな成功より学びの連続だった。その経験が、コロナ禍でも音楽を完全に手放さなかった土台となった。
第5章 止まった舞台、再び音楽を見つけるまで
福岡を離れた彼女は東京で少しずつ居場所を作っていた。ライブ、新たな出会い、経験で音楽の色も明確になった。広く知られずとも、自分の速さで前進する確信はあった。だが予想外の社会変化がその流れを突然止める。
2020年から世界を揺さぶったコロナ禍は音楽界にも打撃を与えた。公演は相次ぎ中止、ライブハウスは閉鎖・縮小した。人前で歌うのが日常の人にも、舞台は当然ではなくなった。彼女も同様だった。予定が消え、直接会う機会が激減し、作り方にも変化が訪れた。
最大の変化は創作だった。近年のラジオで当時を振り返り、『しばらくまったく曲を書けなかった』と話した。10歳から続けた彼女には異例だった。ギターを持っても旋律が浮かばず、何を歌うか分からなかった。公演減少だけでなく、音楽で自分を表すこと自体が止まったのだ。
当時を自分との闘いと表現した。正解も続けられるかも分からず悩んだ。世界は止まり、会うことさえ難しかった。経験が歌になる人にも、新しい話を作るのは容易でなかった。会場の反応を感じ詞にする好循環が切れ、創作も自然に止まった。
完全に諦めたわけではない。むしろ、なぜ作るかを見直す時間でもあった。舞台がなくても続けたいか、聴かせる機会がなくても書きたいかを問い続けた。容易に答えは出なかったが、次第にはっきりした。舞台がないから作るのではなく、作りたいから舞台を待っていたのだ。
再び始まった創作
長い沈黙の後、最初に動いたのはギターだった。
止まった創作を再開し、少しずつ旋律を書き始めた。長く書けなかったため最初は難しかったが、一曲を仕上げる中で失った感覚も戻り始めた。
後のラジオで、コロナ期の後、久々に最初から最後まで完成させた自作曲が『Re:Road』だったと回想した。再開自体が大きな意味を持ち、再びシンガーソングライターとして頑張ろうと思えたと説明した。
以後、創作の流れが徐々に戻った。閉ざされた感情が詞になり、舞台への思慕や人への思いも新曲となった。ラジオでは『再び書いて、やはり歌を作りたい人間だと思った』と語った。義務でなく、続ける理由を確かめ直す過程だった。
この経験は後の作品にも大きく影響した。感情が深まり、恋愛だけでなく人間関係、時間、再出発の勇気も自然に入った。最も苦しい時期であると同時に、自分を再発見する契機にもなった。
第6章 再び舞台へ――『トロット・ガールズ・ジャパン』が変えた人生
止まった時間が過ぎ、再び舞台へ目を向けた。久々に曲を完成し感覚も戻ったが、歌い始めたからすぐ元通りではなかった。公演文化の回復には時間が要り、活動をどう続けるかも考え直した。続けたい思いは明確でも、どう人と会うかは未解決だった。
そのころ意外な機会『トロット・ガールズ・ジャパン』が訪れた。通常応募ではなく、TikTokで歌を見た関係者から直接参加を提案された。コロナ期を経て投稿を再開し、両親の影響で幼少期から好きだった歌謡曲やトロット系も歌っていた。後に『TikTokで自分の声を好きな人がいると再び感じた』と回想した。その自信が新しい挑戦につながった。
もともとトロット歌手志望ではなかった点は興味深い。夢はギターで自作曲を歌う人で、長くその道を見てきた。だが新ジャンルを恐れず、未経験の音楽で可能性を試したかった。何より再び楽しみたかった。イメージ維持より、新舞台での成長が大切と判断した。
番組は音楽人生の転機となった。安定した歌唱と長年の表現力、感性で注目された。特に予選のJUDY AND MARY(ジュディ・アンド・マリー)の 『Over Drive』 の映像はTikTokで数百万回以上再生され、話題となった。関連映像を合わせると一千万回を超え、地域のライブ中心だった名が、ネットでより広い大衆へ届き始めた。
だが最大の変化は数字や話題ではない。人前で歌う喜びを取り戻した。コロナ期に止まった人生が動き、歌い続けてよいという確信を得た。一度離れかけても、最も幸せなのは舞台で歌うときだと再確認した。
番組はさらに扉を開いた。その後、韓国制作の後続企画 『日韓歌王戦』、 『日韓トップテンショー』 などに日本代表として出演し、韓国へ活動域を広げた。日本の審査が国境を越える舞台につながった。福岡でギターを背負った少女は、いつしか両国を行き来する人となった。
第7章 国境を越えて続いた歌
番組は単なる審査以上を残した。長く音楽を守った彼女は、これを機にまったく違う舞台と新観客に会った。特に後続企画で韓国活動が続き、予想外の方向へ人生が広がり始めた。
選ばれた日本代表メンバーは韓国制作の 『日韓歌王戦』、 『日韓トップテンショー』 などで韓国の視聴者とも会った。日本で活動した彼女には放送制度も舞台も新しかった。言語も消費方法も違う。多数へ同時に届く放送は、ライブハウス中心の彼女には別種の舞台だった。
だが戸惑うより、一つずつ受け入れた。もともとジャンルに閉じこもらず、多様な音楽に触れ、新経験を吸収していた。韓国もその延長だった。海外進出というより、多くの人と音楽で出会う機会と捉えた。
韓国活動は音楽観にも影響した。公演や放送で日韓両言語が自然に共存し、言語を越えてつながれると実感した。後に両国を思って作った 『TERMINAL』 も無関係ではない。出会いと別れの場所を題材に、往復する時間が自然に入る。移動そのものより、場所や人を結ぶ関係の話とも読める。
新しいチーム、さらなる挑戦
韓国活動は別の変化ももたらした。番組で出会ったメンバーと女性グループ sis(シス) でも活動した。異なる音楽背景の四人が集まり、トロットを軸に日韓文化を結ぶ方向を示した。デビュー曲『愛のバッテリー』以来多様に活動し、ソロとの両立という新しい時間を迎えた。
グループ開始後も、自作歌手の自己認識を手放さなかった。初作『あきらめないで』を今も覚え、経験を書く習慣は変わらないと語った。苦しいことを詞にし、言いにくい感情を歌へ入れる方法は、幼少期以来最大の特徴だ。
グループは知名度を広げると同時に、自分を再確認する時間だった。共同舞台の喜びを学び、いつか自分の話を直接歌いたい思いも明確になった。別に作曲を続け、自分の名で音楽を出すことも止めなかった。
韓国活動が残した変化
新舞台を経験した重要な転機だった。日本のライブハウスや地域公演中心から、韓国では番組や大会場で多くへ会えた。環境の違いが視野を広げ、出会いが音楽観にも影響した。
もちろんそれが人生のすべてではない。今も日本中心にソロとグループで新舞台へ立つ。ただ番組と韓国活動が最大級の転機だったのは確かだ。積んだ時間に新経験が加わり、舞台も日本を越え広がった。
何より新可能性を示した。福岡の始まりが東京経由で韓国へ続くとは、誰も容易に予想しなかった。だが恐れず一つずつ受け入れ、領域を広げた。中心には今も、歌を作り舞台で歌う自己認識がある。


第8章 『TERMINAL』が語る今のかのうみゆ
初めて聴く人にはどの曲がよいか。答えはさまざまだろうが、今を理解する一作なら『TERMINAL』は欠かせない。
華やかな編曲や強烈な演技より、静かに語る曲だ。出会い別れるターミナルを題材に、出会い、別れ、待つこと、再出発を淡々と描く。初聴では旅の歌でも、詞を追うと移動だけでなく関係や時間があると分かる。
現在の活動にも自然に重なる。日本中心でも韓国を往復し各都市で歌う日々は、空港、駅、多くのターミナルを通る時間だ。そこでの感情が歌となり、創作以上に今の生活を記した作品に感じられる。
LOVE FM『かのう SAY』では、日本と韓国の皆を思って作ったと説明した。短い言葉には舞台が二国へ広がったことと、片方でなく応援する全員へ届けたい思いがあった。実際、公演でもよく選び、代表的自作曲の一つになっている。
変わらないのは自分の物語を書くこと
長年のファンには共通する見方がある。編曲や空気は時代で変わっても、経験から作ることは最初と大差ないというものだ。
10歳で習い作り始めた時も、感情を詞にした。福岡の路上公演、東京の新舞台、コロナで止まった時も、音楽は自分の話を記す方法だった。
表現は成熟した。幼いころそのまま書いた感情を、今は余白で聴き手の経験を呼ぶ詞にする。恋でもときめきだけでなく距離、待つこと、言いにくい思いを入れることが増えた。
これは成長の時間と無関係でない。多くの舞台と出会いが自然に音楽を変えた。だが最初の自己認識は変わらず、経験を音楽にする人で、その中心には常に人がいた。
これから書く次の物語
今はソロとして、またグループ sis(シス) のメンバーとして日本中心に出演する。ライブ、イベント、放送の予定の中でも作り歌い、福岡で始まった人生は全国へ続いている。
次の音楽はまだ分からない。新ジャンルかもしれず、自分の話の自作曲かもしれない。ただ振り返れば明確だ。形式や舞台が変わっても、常に歌を作る人として生きてきた。
三重生まれ福岡育ちの少女は一本のギターで始め、東京で広い世界を知り、番組で転機を迎えた。多くと会い、ときに止まっても、再び作り自分の道を歩いた。
物語はまだ終わらない。今までは結末でなく、続く人生の別の出発点に近い。だから次の舞台と歌も自然に楽しみになる。
エピローグ まだ終わらない物語
振り返れば、特別な一瞬だけがすべてを変えたのではない。
三重で生まれ4歳ごろ福岡へ移り、10歳でギター、11歳で自作曲の舞台へ立った。中学では福岡各地で歌い、18歳で東京へ向かった。ライブと審査を重ね、予想外のコロナ期に作れない時間もあった。だがまたギターを持ち、作った。
その時間が番組という機会に会い、日韓活動へ続いた。転機と記憶する人は多いが、別の視点では新開始というより長い人生が次の舞台に会った瞬間だ。作り歌う生活は今も大きく変わらない。
貫くのは華やかさより誠実さだ。関係、出会いと別れ、不安と希望、再び進む思い。いつも経験を歌にし、その記録が世界を作った。『Re:Road』が再び歩く決意なら、『TERMINAL』は人と場所を結ぶ思いだ。常に今生きる時間を率直に映した。
近年も日本各地のライブ、地域行事、グループ sis(シス) の活動、ソロ公演を続ける。方式は変わっても直接会い、歌と話を届ける本質は同じだ。説明に重要なのは国より、 今も自分の物語を自ら歌うシンガーソングライターであること かもしれない。
本稿は完成した成功談にする記録ではない。今も続く旅を振り返るものだ。次の曲も、新しい出会いの舞台も分からない。ただ自らの人生を音楽で記してきたことは明確で、今後も大きくは変わらないだろう。
福岡の小舞台でギターを背負った少女は、今は広い舞台で自分の話を歌う。その物語は、今も進行中だ。
参考資料
- Frag Lab スペシャルインタビュー 第1回
- Frag Lab スペシャルインタビュー 第2回
- Frag Lab スペシャルインタビュー 第3回
- かのうみゆの公開インタビュー・公式プロフィール
- LOVE FM『かのう SAY』
- MBCラジオ『Music Shot』





