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REVIEW · フェス・音楽祭

かのうみゆとMAKOTO.、違う歌で同じ舞台へ——ソウルの日韓交流おまつり

公開 2024-09-23 · 更新 2026-10-25 · CROSSWAVE EDITION

かのうみゆとMAKOTO.、違う歌で同じ舞台へ——ソウルの日韓交流おまつり
DATE2024.09.22
2024年9月22日・ソウルCOEX5 TRACKS

公演セットリスト

かのうみゆ・MAKOTO.出演部分・演奏順

  1. キューティーハニー — かのうみゆ・MAKOTO.
  2. パスワード486 — かのうみゆ
  3. ジュリアに傷心(Oh My Julia)— MAKOTO.
  4. 愛のバッテリー — かのうみゆ・MAKOTO.
  5. 青い珊瑚礁 — かのうみゆ・MAKOTO.

2024年9月22日・日韓交流おまつり
COEXで見えたかのうみゆの現在と、ともに立つ方法

ソウルCOEXのDホールはコンサート会場でなく祭りの空間だった。音楽、食事、旅、キャラクター、コスプレ、自治体や企業のブースが混じる。観客は席で待つのではなく、歩いて立ち止まり、眺めて通り過ぎ、いつでも別へ目を向けられた。

出演者に有利な場所ではない。集中した照明も一定の拍手もなく、雑音と人の動きの中で歌が自らを示す必要がある。好きな人へ歌うのでなく、まだ決めていない人へ自分を説明する場所に近い。

その中で午後3時30分から約20分、かのうみゆとMAKOTO.(マコト)が共演した。短い時間と速い転換、明確な第一印象が必要だった。招待公演という以上に、祭りで自分を示す舞台だった。

デュエットの始まりと、それぞれの言葉

始まりは「キューティーハニー」のデュエット。親しい旋律と軽いテンポが祭りに合う。技術の複雑さより、一気に空気を上げ、今この舞台を楽しんでよいという合図を送る役割だ。

二人はそれを理解し、力みも流しもしなかった。競争相手としてでなく、相手を隠しもせず歌った。優劣を分ける場でなく、一つのチームとして機能することを示す出発点だった。

続くソロへの自然な転換も重要だった。同じ舞台でも、それぞれがどんな言葉で客席を引きつけるかを示す必要があった。

かのうみゆ・MAKOTO.・2024年9月22日

韓国語で歌い切る「パスワード486」

みゆは「パスワード486」を日本語版でなく、最後まで韓国語で歌った。単なるファンサービスや一度きりの企画ではない意図が見えた。

韓国の客席には旋律より歌詞が先に浮かび、感情より記憶が反応する曲だ。一節ずれれば全体の印象も揺らぐ。外国の歌手が歌い切ることは、発音の完成度以前に意味を直接届ける選択だ。

発音が完璧とは言いにくく、細かな抑揚の違いと揺れがあった。だが不完全さを避けなかった。日本語で安全に変えたり一部だけ韓国語にせず、最後まで続けた。よく聞こえるようにというより、この歌をこの言葉で届ける姿勢だった。

過剰な感情や無理な発音強調もなく、文の流れを守る集中と、歌詞の拍へ合わせる安定した呼吸が残った。雑然とした祭りでも前方は自然に整い、拍手と反応が明確に返った。

大切なのは完璧な韓国語ではなく、曲と言葉を選び、最後まで責任を持つように歌った事実だ。日本からの招待歌手というより、その場所の感情と言葉を直接渡る人として立っていた。

かのうみゆ・MAKOTO.・2024年9月22日

MAKOTO.「ジュリアに傷心」——違う方法で空間を開く

続くソロは「Oh My Julia」。軽快なリズムと直接的な旋律が祭りとすぐ結びつく、明確な選曲だった。複雑な解釈を求めず、先に手を差し伸べて素早く反応を受け取った。

強みは表情、身体、客席との距離の分かりやすさにあった。歌の始まりから空気をほぐし、祭りの開放感に自然に混じった。説明より体感で納得させる公演だった。

みゆが言葉と密度でゆっくり引き込む一方、MAKOTO.はリズムと力で一気に開く。一方が内へ集め、他方が外へ広げる対比だった。

だが競争に見えず、どちらも相手を圧倒、隠す構造ではない。異なる舞台が続くことで色が明確になり、同じ場で別の方法により客席へ会う姿は、その後の流れを予感させた。

どちらが上かを決めるのでなく、同じ出発点から違う方向へ成長した二人の現在を示す場面だった。その均衡が次の物語を説得力あるものにした。

sisという名前——個人を消さない選択

後半、あさ陽あい、太良理穂子とともにsis(シス/SIS/T)として本格活動を始める予定だと短く告げた。長い発表も大げさな演出もないが、見ていた人には軽くなかった。

二人は「トロット・ガールズ・ジャパン」から出発した。競争しつつ互いによって位置を明確にし、片方が立つと比較されても、完全に押し出されることはなかった。競争であり共生でもあった。

グループの宣言はその延長だ。色を薄めず、違いを前提とする構造を選んだ。特にみゆにはソロの個性を保ちつつ、チームで別の呼吸と舞台を試す、活動以上の意味があった。

再びデュエットで「愛のバッテリー」と「青い珊瑚礁」。説明なしに反応でき、拍手と笑顔が混じる、祭りに似合う歌だった。

ここでみゆは、発音や伝達を示すソロから変わり、空間を分け合う方向へ向かった。表情は柔らかく、動きに一拍の余裕があった。ソロの密度とデュエットの柔軟さは衝突せず、一人の中の二つの顔として続いた。

中心でも周りを見て、一人で導くより、ともにいる人と拍を合わせた。祭りの言葉を知る合図であり、sisが単なる企画でなく働く構造だと静かに示した。

VIDEO · YOUTUBE

2024年9月22日・縦画面ファンカム・かのうみゆ/MAKOTO. 全5曲|日韓交流おまつり in Seoul・COEX

YouTubeで見る ↗

舞台の外へ——祭りという場所

場面はメインステージだけで終わらない。祭りでは出演者も客席と空間を共有し、ブースを歩き、写真を撮り、偶然目を合わせる。

フィナーレは全出演者が客席と踊った。みゆは自然にファンの希望へ応じ、短い間にも多くのツーショットが生まれた。予定したサービスより、その場の流れへの反応だった。

それも舞台と同じく大切だ。出演者であり祭りの一員という役割を、やりすぎず誠実に果たした。

祭りの舞台が残したもの

約20分で複数の歌が速く過ぎたが、その短さはみゆを理解する手がかりを残した。

もはやサバイバル番組の物語だけの人ではないが、完成したスターともまだ言えない。立つ場所と言葉を自分で選べる段階にいた。

雑音と開放空間でも最後まで歌を届け、競争と共生の場でも中心を失わなかった。大公演でも単独紹介でもないからこそ、姿勢が鮮明だった。

華やかな光や大げさな演出でなく、選択と態度で成長を静かに示した。それは時間がたっても色あせにくい証明だ。