REVIEW · フェス・音楽祭
さくまひでき、客席へ届けた歌 — 2026埼玉飯能音楽祭

客席へ降りてきた歌手、さくまひでき
10月11日午後2時、埼玉県飯能市の飯能市民会館大ホールで「2026埼玉飯能音楽祭」の第1部が始まった。この日の公演は午後2時と午後6時の2回に分かれ、伝統音楽とポピュラー音楽、舞踊やパフォーマンスなど、多様なジャンルが一つの会場に集まった。
出演者の中で目を引いたのは、埼玉県出身のシンガーソングライター、さくまひできだった。1980年代後半から音楽活動を続け、地域のライブやラジオを中心に経験を重ねてきたベテランだ。作詞・作曲・編曲に加え、楽器演奏や音源制作、公演の進行まで自ら手がけることでも知られる。
さくまは第1部の1曲目から、観客のすぐそばで歌うことを選んだ。歌の途中でステージから客席へ降り、一人ひとりに近づいて握手を交わした。客席を移動しながらも歌を止めず、来場者と直接あいさつする時間が続いた。
通常、コンサートでは歌い手と観客はステージと客席に分かれる。さくまは開演早々、その境界を越えた。前列だけに向けた短いファンサービスではなく、客席を回り、できるだけ多くの人と手を握る。観客も席にいながら歌い手と間近で向き合い、公演に参加できた。
その姿は、日本各地を長年巡ってきた経歴にも重なる。大ホールだけでなく、地域の祭りや文化行事、小規模なライブで観客と出会ってきたさくまにとって、客席へ近づくことは、決して不慣れな試みではなかっただろう。


歌とコメディを組み合わせた第2部
午後6時からの第2部では、別の形のステージを見せた。歌の中にせりふや芝居を織り込み、ユーモラスに展開していく。曲間に短い話を挟む一般的なトークとは異なり、歌そのものに会話や寸劇を組み込み、一つの物語を語るような構成だった。
歌からせりふへ、そして再び音楽へ戻る流れは、通常の歌唱よりもコメディを交えた音楽劇を思わせた。真剣に歌を届けるシンガーソングライターと、コミカルに演じるエンターテイナー。その両方が一つのステージにあった。
同じ日の2公演で構成を変えていた点も興味深い。第1部は客席での握手を通じて親しみを生み、第2部はせりふと芝居で歌に楽しさを加える。歌唱だけでなく、観客とのやり取りや物語、笑いまでを公演の一部にしていた。
所属するサンミュージックは、さくまを作詞・作曲・編曲、楽器演奏、音源制作、アーティストのプロデュース、司会やラジオまでこなすエンターテイナーとして紹介している。この日のステージでも、音楽家と進行役、コメディアンの顔を併せ持つスタイルが見て取れた。
車で寝泊まりしながら全国628か所を訪ねた音楽家
さくまひできは1971年11月20日、埼玉県に生まれた。現在の鴻巣市にあたる旧吹上町出身で、幼い頃に父親のギターに触れて音楽への関心を持ち始めた。その後、自作曲やバンド活動を経て、シンガーソングライターへと歩みを進めた。
経歴の中でも特に興味深いのが、1997年の全国有線放送訪問だ。当時25歳だったさくまは、自ら立ち上げたレーベルから「愛を感じたい」を発表した。しかし、発売するだけで歌を全国へ広めるのは難しい。インターネットやSNSが今ほど普及していなかった時代、新人にとってラジオや有線放送、レコード店は重要な宣伝の場だった。
そこで、自分の音楽を自分の足で伝えることにした。車で全国を回って有線放送の関係者を訪ね、車中で寝泊まりしながら活動を続けた。訪問先は、実に628か所に及んだ。
約1年をかけて全国628の有線放送拠点を訪ねたこのエピソードは、今も公式プロフィールに記されている。音楽を作るだけでなく、それを人に届ける過程まで自ら引き受けた経験だった。
飯能音楽祭で客席へ降り、一人ひとりと握手を交わす姿は、その経歴を思い起こさせた。かつては歌を広めるために全国の放送関係者を訪ね、数十年後の今は、会場で観客のもとへ近づいて歌を届けていた。
もちろん、音源の宣伝で全国を回ることと、公演中に握手をすることは別の行為だ。それでも、音楽を聴く人に直接会おうとする姿勢は、二つの場面に共通している。
その後も、さくまは自ら公演を企画し、移動や機材の運搬、音響まで担う活動を続けてきた。現在も年間100回前後の公演を行うと紹介される、地域の音楽シーンでも精力的な存在だ。
バンドからソロへ、メジャーデビューから20年
さくまの音楽活動はバンドから始まった。1980年代後半から活動し、1990年代には自らの音楽を発表。1997年に独自レーベルを設立し、本格的な音源制作へ進んだ。
2004年にはグループ「ストロー」の一員として「さよならも言えなくて」を発表し、メジャー市場へ進出。その後ソロ活動を準備し、2006年1月25日、「ただ見つめてただけの初恋」でソロとしてメジャーデビューした。
この曲は、自身の初恋をもとに生まれた。2026年1月、ソロメジャーデビュー20周年に寄せた文章で、当時を振り返っている。発売に向けて初恋を歌にし、関係者の好評を受けてデビュー曲に決まったという。
デビュー後は全国のレコード店でキャンペーンを行った。新星堂や山野楽器、HMV、タワーレコードなどを訪れ、自ら歌い、音源を販売した。1997年の有線放送訪問と同じく、音楽を伝えるために直接現場へ向かう方法だった。
2026年はソロメジャーデビュー20周年にあたる。最初の音源発表までさかのぼれば、音楽家としての歩みはさらに長い。飯能で見せた安定した進行と幅広い構成には、その経験が積み重なっていた。
とりわけ第2部の歌とコメディを組み合わせたステージは、活動の幅をよく示していた。自作曲を歌うだけにとどまらず、せりふと芝居を使って公演そのものを楽しませる。音楽とトーク、笑いを扱う方法は、歌唱中心のステージとは異なっていた。
埼玉を歌う、埼玉出身の音楽家
さくまの活動を語るうえで欠かせないもう一つの要素が、故郷の埼玉県だ。長年、埼玉を中心に公演や放送を続け、地域を題材にした音楽も発表してきた。
代表的な作品の一つが「人生たまたま…さいたまで」。埼玉を題材に、地名を前面に出した独特のタイトルが印象に残る。
東京に隣接する埼玉は、日本の大衆文化ではしばしば東京との比較で描かれる。その地域イメージを誇張したコメディが映画『翔んで埼玉』だ。埼玉への差別や偏見を風刺する作品として2019年の公開後に注目を集め、2023年には続編も制作された。
「人生たまたま…さいたまで」も、この映画シリーズで使われ、さらに広く知られるようになった。埼玉出身の音楽家が地元を歌った曲が、全国公開の商業映画へ届いたのだ。
音楽活動に加え、地域のラジオでもリスナーと出会っている。FM NACK5の「さくまひできのサンデー音楽工房」を通じ、音楽と話を届けてきた。
ラジオとライブを並行する経歴は、飯能でのスタイルにもつながる。歌の途中で話を展開し、観客と直接やり取りするには、歌唱力だけでは足りない。音楽を聴かせながら関心を引き、公演の流れを導く経験が必要になる。
伝統楽器からよさこいまで、多彩な音楽祭
音楽祭には、さくま以外にも幅広い出演者が集まった。かのうみゆ、AiAi、SOMELINEZ、夕芽、和nagomi、りこまお、有薗利彦らに加え、和楽器四重奏団サイタマティック、よさこいチーム華舞旗も参加した。
ポピュラー音楽だけで構成しなかったことも特徴だ。和楽器の演奏やよさこい、花魁・太夫を題材にした高尾太夫のプログラムなどが用意された。
よさこいは高知県に始まり、伝統的な踊りに現代の音楽や振り付けを組み合わせて発展した文化だ。複数の踊り手による躍動感ある動きが特徴で、各地の祭りや催しの主要な演目にもなっている。
花魁・太夫を題材にした演目では、江戸時代の遊郭文化に関わる歴史的な人物像をもとに、華やかな衣装や装飾品、独特の所作や儀礼的な動きを通して当時の装いや文化を表す。今回、そうした伝統文化の演目が現代のポピュラー音楽と並んで紹介された。
かのうみゆも両公演に出演し、それぞれ異なる選曲を披露した。オリジナル曲や日本のポピュラー音楽、アニメソングを組み合わせ、韓国の歌手イ・ギチャンの「감기(カムギ)」を日本語でリメイクした「恋慕」も両公演で歌った。
さくまが長年の経験を生かして観客参加型の演出やコメディを見せる一方、ほかの出演者は、それぞれの背景やジャンルに応じたステージを披露した。一つの音楽祭で伝統音楽とポピュラー音楽、舞踊やパフォーマンスに触れられた。
628か所を訪ねた音楽家が、観客へ差し出した手
今回のさくまの公演は、二つの場面で記憶に残る。第1部の最初の曲で客席へ降り、一人ひとりと握手した姿。そして第2部で、歌とせりふを組み合わせ、コメディのように展開したステージだ。
方法は異なるが、どちらも観客をただ聴く立場に置かず、公演に参加させていた。第1部では歌い手が客席を訪ね、第2部では物語と笑いが、観客を歌の流れへ導いた。
1997年、歌を広めるために全国628の有線放送拠点を訪ねたさくまは、その後も数多くの会場で音楽を届けてきた。2006年のソロメジャーデビューから20年を経た今も、制作と放送、公演を並行している。
この日の姿は、大がかりな装置や演出よりも、観客と直接出会う公演のあり方に近かった。歌いながら客席を回り、せりふや芝居で笑いを届ける姿に、地域のステージを長年続けてきた経験が表れていた。
埼玉出身の音楽家として地元の舞台に立ったさくまは、自ら歌い、観客と会い、音楽と話で公演を導くという、長く続けてきたことを改めて見せた。2026埼玉飯能音楽祭の2公演は、その多彩なスタイルに一度に触れる時間となった。
