REVIEW · 楽曲・アルバム
三國志V「華龍進軍」、服部隆之が描く進軍の大きさ

三國志Vの「華龍進軍」を思い出すとき、最初に戻ってくるものは人によって違うだろう。昔の画面や次の命令を考えた時間かもしれないし、前へ進む音楽の印象かもしれない。同じ曲がゲームでは別の活動に重なり、音盤ではそれ自体に注意を向けられる。その二つの場所に、聴き直す理由がある。
コーエーの公式サウンドウェア案内は、音楽を服部隆之の仕事と記している。1995年12月21日発売のKECH-1095で「華龍進軍」は第5曲。ゲームの記憶に結びついた音を、作曲者の名前と曲順からもう一度知ることができる。
『三國志V』05 — 華龍進軍(動画表記:Glittery Dragon March)
進軍は到着よりも動きを示す
進軍という題名は、終わった勝利の報告より、どこかへ向かう集団を思わせる。目的地がある感覚と、まだ到着していない緊張が同居する。推進力を聴くときも、結果を先取りせず、進んでいる状態に耳を置いてみたい。
その動きは一人の英雄の名前で閉じられない。三國志の人物を思い浮かべることはできても、曲名自体が特定の人物の台詞や事件の年を示すわけではない。広く残された余白に、異なるゲームの記憶が出会う。
一曲の竜を、音盤のほかの名前と並べる
公式曲目には「光芒の竜」「雷龍撃砕」「海龍到来」「竜戦」と竜のイメージが何度も現れる。「華龍進軍」もその命名の中にある。進軍し、海から現れ、戦う竜の題名は、音を聴く前から空間と動きの大きさを想像させる。
同じ音盤には「勝利」「敗退」「評定」のように結果や状況を直接示す名前もある。並べてみると、進軍の位置がはっきりする。すべてが同じ壮大さを担うのではなく、動きと結果を別々の名前に分けた構成なのだ。
画面の外に残るプレイの時間
ゲームで聴いていた音を単独で聴けば、操作の合間に通り過ぎた流れへ集中できる。一方、音楽から画面の前にいた生活を思い出すこともある。作品内の歴史的想像と、作品外で過ごした個人の時間が一曲に重なる。
聴き直すことは、当時のプレイをそのまま再現することではない。今は服部隆之の仕事として、あるいは20曲の音盤の一場面として聴ける。古い記憶が残っていても、聴く場所は新しく生まれる。