REVIEW · 楽曲・アルバム
アンニョンバダ「ピョルピチ ネリンダ」— なじみのコーラスの向こうの夜

カラオケ番号
アンニョンバダの「ピョルピチ ネリンダ」を短いコーラスで覚える人は多いだろう。きらめく場面の音楽という印象が強いほど、曲全体の夜は後ろへ下がる。最初から聴くと星明かりは美の装飾だけでなく、暗い街、記憶、孤独の空間へ降る光だ。認識の楽しさを捨てずとも前後を聴く理由がある。同じコーラスも、どんな夜を経たかで温度が変わる。
[MV] byebyesea — ピョルピチ ネリンダ
コーラスを知ることと曲を知ること
切り取られた音楽は原曲と違う場面を得る。それを誤りと断定する必要はないが、全体とすれば別の面は見えない。なじみのコーラスの前で何を見るかが重要だ。先に闇があって光に会うことと、最初から眩しい背景にすることは違う。旋律は同じでも感情の土台は変わり、知る音にも新しい表情がある。
星を希望の象徴と呼ぶだけでは風景を語れない。どこへ降るかも残るからだ。暗い街なら、光は闇を消すより一部を別に見せる。孤独の消失が美の条件ではなく、両方は同じ場面にある。明るさは単純な楽観にまとまらない。光が見えることと、そこにいる人が皆大丈夫になることは違い、余韻を広げる。
異なる声色で同じ夜を聴く
裏声と地声の質感は風景に別の距離をつくる。同じ言葉も近く渡されるように、遠く広がるように感じうる。どちらが感情的かの順位より、一曲の空間をどう分けるかを聴ける。声の変化は耳の位置も動かす。夢幻的という評に止まらず、どの音の関係がそうさせるかを聴く。なじみの旋律でも声は一表情に留まらない。
コーラスは意味を持たない音も歌えるようにし、理解の段階を越え身体と耳が動く。ただ反復が前の情緒を消す必要はない。全曲を聴いた耳には口ずさむ部分にも夜が重なる。短い区間が場面ごとに役割を変え、親しみは開いた場所になる。引用の経験と通しの経験は共存できる。差を知ると親しみは閉鎖より再開の入口になる。
明るい場面を越えて再会する闇
再聴ではきらめくコーラスを待ちつつ前の闇へ留まれる。愉快な引用の記憶を消さず、その隣に別の夜を置けばよい。この曲は同じ音が多様な場面に届く例であり、引用の後にも自分の時間を持つ一曲だ。残る光は闇の全消失の証拠より、そこで一時違うものを見た感覚かもしれない。コーラスはより広い夜へ戻る。